Hidesukeの日記 skiとKalafina、ときどきバイクGSX250R,GSX-R125

大好きな ski と Kalafina と バイク についての日記です

Kalafina 2016〜2017年にかけての方向性の違和感・・

今日も個人的な感想で、見当違いなことを書いてるかもしれません・・。

私がKalafinaを知ったのは2015年の夏頃。その少し前から、一般の
テレビにも少しずつ出るようになってきてたと思います・・。

2014年からはCDJにも出ていましたし、NHKの歌番組にもちょこちょこ出る
ようになりました・・。

2016年は谷村さんとの共演や一般の音楽フェスのボナンザ、めざまし
ラシックスへの出演など、一般の音楽シーンへも顔を出すように
なっていて。

自分は、「これはいい方向性だな」と思っていました。自分はヒストリア
から入った方で、まだまだ一般の人の中には聴けば「Kalafina」を必要と
する人は相当いるはず、と思っていましたから・・。

「アニソン」というくくりだと、最初から選択肢の中に入れない人もいる
と思うんですよね・・(自分がそうでした)。しかし、一般のフェスに出
てもすぐには結果が出ないと思うんです。いろいろなアーティストの中で、
「いいな」と思ってくれる人がどれだけいるか・・。でも、「これは」と
思う人は必ずいる・・。彼女たちにとっても刺激的な日々だったことで
しょう。おそらく梶浦先生のプロデュース・・(かな)。しかし・・。

事務所は待てなかった(のかな?)。「アニソン中心でいこう」確かに
アニソンの世界にいれば、アニソンを中心に聴く人を対象としていれば
知名度もあり、間違いはない、・・。

2017年はイベントへの出演はアニソン関係に絞られ、一般のイベントや
フェスへの参加はなかったと思います。CDJへも出なくなってしまいまし
た。自分は正直「???」でした。「なぜ?」「一般の音楽シーンへは
出ていかないの?」「なぜ方向転換?」・・。とても窮屈な感じがして
いました・・。

本当に憶測ですが、梶浦先生が描いた未来と違うならば、それが受け入
れられず、ここにいてはチャレンジすらできないとすれば、そして、
さらにこじれてしまいもはや修復不可能となったら、ここにいても
しょうがない・・。音楽性についての対立もあったかもしれません・・。

その決断が、おそらく2016年後半でしょうか・・。(続く)