Kalafina とskiの共通点?・・
共通点・・それは、「ものの本質にせまる」、ということでしょうか・・。
どちらも、好みで、どういうふうにでも滑れる、歌える(歌ったものを聴くことが
できる)わけですが・・。
スキー、いろいろなレベルがあって、その段階、その段階で楽しいのですが、
「う〜ん、こうじゃない気がする〜」という思いもあって。2枚の板を使って
気持ちよく滑るために体をどう使えばいいのか、人の体のつくりから導き出される
「本質」がやっぱりある・・。
「これだ!」と掴んだ気がしても「やっぱり違ってた・・。」という場合もあるし、
「間違いない!」と思うものもあるし、でも、「これは絶対!」というものは、
感覚的にわかる気がします・・。そして私の尊敬するマルティン・グガニック大先生
が「納得できたターンは1回もない」と言っていたのを時々思い出します・・。
最高を追い求めた場合、「もっとこうすればよかった・・」というのが必ず出てくる。
「切れば良かった、ずらせばよかった・・」ひざの入れ方、荷重のかけ方、ターン弧
の大きさ、谷への落とし方、などなど。
スキーのターンもその時の一瞬で流れてしまうので、それで、また次を追い求めて
しまうのでしょうね・・。
Kalafinaの歌の場合も、やっぱり「歌の本質」をとらえているんだと思います。
カドカワによれば、「伝えるためのスキル」と言っていいかもしれませんが、彼女たち
はそこから逃げなかった・・。そのベースには歌うことが好き、というのもあった
と思いますが、3人でそれを追い求めてきた・・。(自分が知ってるのは最近の1年
半くらいですが・・)
人の「聴く感覚」の中で、気持ちよく響くのはどこなのか、「ここは絶対!」という
ポイントがあると思うし、つかんでいるんだと思います。
こじつければ、斜度、雪質、斜面状態から導き出されるスピードと回転弧にビシッと
合ったターンの気持ちよさ、それと、会場、観客、曲の世界観とつくりから導き出さ
れるビシッときまったハーモニーの気持ちよさ、一方は運動、一方は音楽、ですが、
自分にとってこの2つ、とっても似ています・・。